BUMP OF CHICKEN「カルマ」歌詞の意味(解釈)を考察!爽やかなメロディーに深い歌詞

今回は、BUMP OF CHICKEN『カルマ』の歌詞を考察していきます。

BUMP OF CHICKENと言えば、天体観測など有名な楽曲が多くありますが、このカルマもその1曲だと思います。
BUMP OF CHICKENが好きな人にとって、カルマも好きな曲に挙がるのではないかと思います!

それでは、どんな歌詞なのか見ていきましょう。

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BUMP OF CHICKEN『カルマ』ってどんな曲?

BUMP OF CHICKEN『カルマ』は、2005年11月23日にリリースされたBUMP OF CHICKENの11枚目シングルです。
ゲームソフト『テイルズ オブ ジ アビス』の主題歌・アニメ版のオープニングテーマとして作られ、スタッフと何度も話し合いながら生まれた1曲だそうです。

カルマ=業・・・必ず結果をもたらし、結果はそれによって必ず導かれるという人間の行為=運命・・・。
人間の存在そのものの本質と真理を激しく深く、そして真摯に切実に描いたこの楽曲は、それとのまさに運命的な出会いを果たした多くの聴き手それぞれの感性に、孤高のかけがえのない真理の歌として響きわたることでしょう。

(引用元:YouTube

どこか難しい歌詞かと感じてしまうような文章にドキドキしますが、一体どんな歌詞なのでしょうか。

BUMP OF CHICKEN『カルマ』ってどんな歌詞?

それではどんな歌詞なのか、見てみましょう。

ガラス玉ひとつ 落とされた 追いかけてもうひとつ 落っこちた
ひとつ分の陽だまりに ひとつだけ残ってる

心臓が始まった時 嫌でも人は場所を取る
奪われない様に 守り続けてる

汚さずに保ってきた手でも 汚れて見えた
記憶を疑う前に 記憶に疑われてる

必ず僕らは出会うだろう 同じ鼓動の音を目印にして
ここに居るよ いつだって呼んでるから
くたびれた理由が重なって揺れる時
生まれた意味を知る

存在が続く限り 仕方無いから場所を取る
ひとつ分の陽だまりに ふたつはちょっと入れない

ガラス玉ひとつ 落とされた 落ちた時 何か弾き出した
奪い取った場所で 光を浴びた

数えた足跡など 気付けば数字でしか無い
知らなきゃいけない事は どうやら1と0の間

初めて僕らは出会うだろう 同じ悲鳴の旗を目印にして
忘れないで いつだって呼んでるから
重ねた理由を二人で埋める時
約束が交わされる

鏡なんだ 僕ら互いに
それぞれのカルマを 映す為の
汚れた手と手で 触り合って
形が解る

ここに居るよ 確かに触れるよ
一人分の陽だまりに 僕らは居る

忘れないで いつだって呼んでるから 同じガラス玉の内側の方から
そうさ 必ず僕らは出会うだろう 沈めた理由に十字架を建てる時
約束は果たされる

僕らはひとつになる

確かに、「カルマ」という単語だけだとどういう意味なのか、知らない人はわからないですよね。
メロディーは優しく爽やかに駆け抜けるのに、熱を帯びるような印象。

過去の業を背負って今を生きる。
その業があるから、今現実で起きる問題があって、向き合っていかなくてはならない。
例えれば、鏡・ガラス玉に写る自分…のようなイメージで見ていくと歌詞の内容が見えてくるような気がします。

それでは歌詞を考察していきましょう。

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BUMP OF CHICKEN『カルマ』の歌詞を考察してみた!

早速、歌詞を考察していきましょう!

ガラス玉ひとつ 落とされた 追いかけてもうひとつ 落っこちた
ひとつ分の陽だまりに ひとつだけ残ってる

ガラス玉が落とされた。追いかけてまたひとつ落ちた。
つまり命が次々に生まれ落ちていることを表しているのでしょう。

でも陽の当たる場所は限られていて
ひとつの陽だまりには一人だけが残っていられる。

心臓が始まった時 嫌でも人は場所を取る
奪われない様に 守り続けてる

人は生まれ、心臓が動き始める。
最初は、母を奪われないように、母は子を奪われないように守るけど、また心臓が動き始めた時には愛する対象が増えて、その人を奪われないように守り続けるようになる。

汚さずに保ってきた手でも 汚れて見えた
記憶を疑う前に 記憶に疑われてる

現世では悪いことをしていない。
人を殺すことも、自分の手を汚さなくても生きていける世界だから。

でも、自分の手が汚れて見えた。
それは、遠い過去に自分がしたことなのだろうか。
それとも思い出せない記憶の中でしたことなのだろうか。

いや、でも自分自身が過去に起こした罪なのかもしれない。

必ず僕らは出会うだろう 同じ鼓動の音を目印にして
ここに居るよ いつだって呼んでるから
くたびれた理由が重なって揺れる時
生まれた意味を知る

必ず僕らは出会うだろう。
僕ら‥は恋愛的感情よりは、自分自身のこと。
過去世、現世、未来世と言う風に時を超えた次元の話と思えば納得がいきます。

「同じ鼓動の音」というのも、自分の心臓の音なら同じでしょうし。
もしかしたら、生まれる母体の心臓の音、という意味かもしれませんが…。

ここに居るよ。
いつでも君(自分)を呼んでるよ。

疲れるタイミング、悩むタイミング、気持ちが揺れる時はきっといつも同じ。
だからこそ、生まれた意味がわかる。
何を解決しなくちゃいけないのか、何が運命(使命)なのか、ということが見えてくる。

存在が続く限り 仕方無いから場所を取る
ひとつ分の陽だまりに ふたつはちょっと入れない

自分という存在が続く限り、ちゃんと守らなくてはならないものは守る。
自分という存在を残す為に。
また来世、ここに自分が生まれる為に。

また、現世においては太陽が1つある内は、2つは入れない。
2人分の魂を1つの身体に入れておくことはできない。

ガラス玉ひとつ 落とされた 落ちた時 何か弾き出した
奪い取った場所で 光を浴びた

またガラス玉が落ちた。

何か弾き出して、光を浴びた。
ガラス玉が割れて、太陽の光を受けてキラキラ光りだした。

数えた足跡など 気付けば数字でしか無い
知らなきゃいけない事は どうやら1と0の間

今まで生まれて生きた時間は数字の積み重ねでしかない。
特に今の世界では、歳を取るのはある意味では簡単だから。

けど、自分が知りたいのは、1と0の間…ということは死して終わる瞬間。
0と1の間なら生まれてからの瞬間な気がしますが、逆になると死ぬ瞬間という印象を受けました。
そこで何が起きたか、何をして死んだか。

初めて僕らは出会うだろう 同じ悲鳴の旗を目印にして
忘れないで いつだって呼んでるから
重ねた理由を二人で埋める時
約束が交わされる

そして、初めて出会う命がそこにある。
きっと同じ悲劇を経験したことのある人かもしれない。
何かの境遇で、出会えたのかもしれない。

いつでも君のことも呼んでるよ。
それは過去にも出会ったことのある運命の人。
また二人で時を重ね合う。そして、また約束も交わされる。

鏡なんだ 僕ら互いに
それぞれのカルマを 映す為の
汚れた手と手で 触り合って
形が解る

過去世と現世、鏡として考えてみれば互いに業を映し出す。
何が背負っている業があるとすれば、お互いに手は汚れているかもしれない。

でも、その汚れた手のおかげで何をしてきたのか、自分がどう生きてきたのかが見えてくる。

ここに居るよ 確かに触れるよ
一人分の陽だまりに 僕らは居る

ここに居る自分は、昇っている太陽の元、1人分の光しか浴びれないけど、過去の自分も今の自分もここにいる。

忘れないで いつだって呼んでるから 同じガラス玉の内側の方から
そうさ 必ず僕らは出会うだろう 沈めた理由に十字架を建てる時
約束は果たされる

僕らはひとつになる

忘れないで。
いつでも呼んでいるよ、ガラス玉の内側から。

また必ず出会う。
死して終わるとき、約束が果たされる。

そして、またその時にひとつになる。

(歌詞引用元:歌ネット*BUMP OF CHICKEN|カルマ

あとがき

いかがでしょうか。

ちょっと難しい歌詞だったかもしれませんが、過去と現在、そして未来…へと考えていったときの話かなと思いこのような考察をしてみました。
皆さんは「カルマ」をどう考えられますでしょうか。

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