米津玄師「灰色と青」歌詞の意味と解釈!菅田将暉と共演した話題の作品

今回は、米津玄師『灰色と青』の歌詞を考察していきます。

この曲が生まれたのは、「菅田君しかいない」と思って自然とできた曲だそうです。

同世代コンビ、米津玄師と菅田将暉の楽曲『灰色と青』はどんな歌詞なのでしょうか。

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米津玄師『灰色と青』ってどんな曲?

米津玄師『灰色と青』は、2017年11月1日発売、米津玄師3rdアルバム「BOOTLEG」(ブートレグ)に収録されている楽曲です。

歌詞の内容は、以下のようなイメージがあると語られています。

幼少時代を共にした友人同士が、大人になりすれ違う日々の中で、離れていても奇跡的に重なる瞬間を描いたこの楽曲。
米津が制作にあたり、コラボ相手が菅田以外考えられず、直接オファーをし、意気投合したことから今回のタッグへと繋がったという。

引用元:米津玄師、新曲「灰色と青」に菅田将暉が参加 「菅田くんでなければ絶対に成立しないと思った」

幼少時代、共に過ごした友人同士が大人になって離れていても奇跡に重なる瞬間…なんだか、凄いなぁと素直に感じました。
ましてや、その楽曲は、菅田将暉以外コラボが考えられなかったというあたりも不思議です。

それぞれこのようなコメントがあります。

菅田将暉:
米津君から「どうしても菅田君とこういう曲がやりたい!」という凄い熱量のあるオファーを頂いて大変嬉しく思います。
自分自身がやり残していた青春の燃え尽きや、いつの間にか失くしてしまった何かをこの曲の中で表現できたような心地良さがあります。
とても素敵な曲ですので、楽しんで聴いて頂けると幸いです。

米津玄師:
どうしてもやりたいと無理を言いました。
この曲は菅田くんでなければ絶対に成立しないと思ったからです。
自分と菅田くんの歌声を通して、この曲の奥にあるもの、なくしてしまったのか、または未だに持ち続けているのか、そういう青さを表現することができたと思います。

引用元:米津玄師、新曲「灰色と青」に菅田将暉が参加 「菅田くんでなければ絶対に成立しないと思った」

また、ラジオでの対談の様子が記事になって載っているので、ぜひこちらも読んでみてください。
より、この「灰色と青」の世界観がイメージしやすくなってきます。

菅田:
以前、酔っぱらいながら、米津さんに『北野武さんの映画が好きだ』という話や、『小さい頃にあった熱量のこととか、“今は変わってしまったかもしれないもの”を表現したい』って話をされたとき、『あの頃の続きがやっとできるのかな?』って思った。
僕は16歳で上京したから、部活とかを途中でやめた人間だから

(引用元:北野武の影響も!?米津玄師が語る、新曲『灰色と青(+菅田将暉)』制作秘話

米津玄師『灰色と青』ってどんな歌詞?

米津玄師『灰色と青』の歌詞を見てみましょう。

袖丈が覚束ない夏の終わり
明け方の電車に揺られて思い出した
懐かしいあの風景
たくさんの遠回りを繰り返して
同じような街並みがただ通り過ぎた
窓に僕が映ってる

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う

忙しなく街を走るタクシーに
ぼんやりと背負われたままくしゃみをした
窓の外を眺める
心から震えたあの瞬間に
もう一度出会えたらいいと強く思う
忘れることはないんだ

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
靴を片方茂みに落として探し回った
「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と
無邪気に笑えた 日々を憶えている

どれだけ無様に傷つこうとも
終わらない毎日に花束を
くだらない面影を追いかけて
今も歌う今も歌う今も歌う

朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何故か訳もないのに胸が痛くて
滲む顔 霞む色

今更悲しいと叫ぶには
あまりに全てが遅すぎたかな
もう一度初めから歩けるなら
すれ違うように君に会いたい

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う

朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何もないと笑える朝日がきて
始まりは青い色

タイトルが、なぜ『灰色と青』なのか考えた時に、私が受けた印象は年齢的なまだ若い・幼いという意味の「青」と、年齢と共に様々な経験をして少し大人として成長してきた心が「灰色」として表現されているように感じました。

私も、幼い頃に一緒に遊んだ当時は親友と呼べる存在がいました。
今、会ってもあの頃みたいに遊んだり行動をしたりなんてできないだろうなぁ…と、ちょっと寂しく思います。

”どれだけ背丈が変わろうとも 変わらない何かがありますように”

本当、そう願っていたかったかなと、今更ながら思います。
素敵な歌詞に胸がいっぱいです。

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米津玄師『灰色と青』の歌詞を考察してみた!

それでは、歌詞を考察していきましょう。

袖丈が覚束ない夏の終わり
明け方の電車に揺られて思い出した
懐かしいあの風景
たくさんの遠回りを繰り返して
同じような街並みがただ通り過ぎた
窓に僕が映ってる

夏の終わり頃は、暑さも残りつつ秋の気配があるので肌寒いような日もあったりして、半袖にするか、それとも羽織ものを羽織るか、ちょっとあやふやな時ありますよね。
電車に揺られながら、窓に映る自分と同じような街並みが過ぎ去りながら、懐かしい過去を振り返ります。

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい

当時、仲良くしていた友人は、まだあの頃みたいにあの場所に住んでいるのかな。
たくさん遊んで、古ぼけた自転車や、「こっから落ちたらワニに食われる!」みたいな綱渡りのゲーム。
遊んだ途中で転んで膝を擦りむいて滲んだ血、痛かったなぁという記憶と共に、虚しさが心いっぱいに広がる。

もうすっかり大人になってしまったな。
あの頃の自分は今いるのかな。

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う

どれだけお互いに成長して、背丈もあの頃と比べたらぜんぜん大きくなってしまったけど、見た目が変わっても心も変わってしまったかもしれないけど、変わらない「何か」があったらいいな。
あってほしいな。

あの頃の君の笑顔に励まされて、今を生きています。
過ごしています。
歌いながら過ごしています。

(歌詞引用元:歌ネット|灰色と青*米津玄師

まとめ

いかがでしょうか。

曲調、米津玄師と菅田将暉の歌い方などからもどこか切なさを感じられる1曲だったと思いますが、より幼少時代の頃から現代を思って虚しくなるそんな感覚って大人になるとあると思います。そんな心情が、読まれている気がして切ないですね。

大人になっても、子どもの頃仲良かった友人とまた馬鹿みたいにはしゃぎたいですね。

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